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2026 年 3 月、FabScene がプリント基板(PCB)製造の民主化の歴史を公開した。
1 枚数万円→5 枚 320 円で納期 3 日——「個人が基板を発注できる」時代はこうして作られた
2026 年現在、JLCPCB や PCBWay といった中国の製造サービスを使えば、5 枚の 2 層基板を約 2 ドル(約 320 円)で、数日のうちに手元に届けることができる。
かつて基板製造は特定の工場に縛られた閉鎖的なビジネスで、試作基板でも数十枚単位の最低発注が必要だった。
この変化は、20 年以上にわたる技術的・産業的・コミュニティ的な変化の積み重ねで生まれた。
本稿はこの歴史を振り返る。
基板とは何か——電子回路の「道路網」
プリント基板を理解するための比喩として、都市の道路網が使われることが多い。
- 建物 - 電子部品
- 道路 - 導電パターン
- 電力と信号 - 交通
道路が正確に引かれ、交差しないよう設計されていなければ、街は機能しない。
ガラス繊維やエポキシ樹脂でできた絶縁板の表面と内部に、銅の薄い層(銅箔)を選択的に残すことで、この「道路」が形成される。
歴史
PCB の父と呼ばれるのは、オーストリア出身の技術者Paul Eisler(1907〜1992)だ。
- 1936 年 - ナチスの迫害を逃れてイギリスに渡る
- 1943 年 - PCB の特許を出願
- 第二次世界大戦 - V-1 飛行爆弾の近接信管に採用
- 1948 年 - アメリカが商業利用を正式に承認
- 1950 年代 - 日本のラジオ・テレビメーカーが相次いで採用
発明から 80 年余りを経た現在、プリント基板は年間 700〜900 億ドル規模の市場を持つ産業の基盤になっている。
台所の化学実験——自宅エッチング時代
2000 年代に入る前後まで、電子工作コミュニティには**「自宅エッチング」**という方法が広まっていた。
プロセス
- CAD や手書きで回路パターンを作る
- OHP フィルムや特殊な紙に印刷する
- フィルムを感光基板に重ねて UV ランプで露光
- 現像液に浸してパターンを現す
- エッチング液に漬けて余分な銅を除去
- ドリルで穴を開ける
- はんだ付けができる状態にする
課題
- 手間がかかる - 時間と手間が大きい
- 片面しか使えない - 複雑な回路では苦労する
- 薬品の処理 - 塩化第二鉄は衣類や洗面台に触れると黄色のしみが残る
- 廃液処理 - 廃液の処理も厄介
複数の回路が入り組んだ「両面基板」、あるいは部品が内部の層も通過する「多層基板」は、自宅エッチングではほぼ不可能だった。
パネル化の発見——「余白」を売るビジネスモデル
製造業者が基板を作るとき、1 枚の大きなパネル(製造板)にまとめて焼き付け、後で個別の基板に切り分けるのが効率的だ。
問題は、そのパネルに空きスペースが生まれやすいことだった。
企業が発注する試作基板がパネル全体を埋めることはなく、その**「余白」**は無駄になっていた。
発想の転換はシンプルだった。
その余白に、別の人の設計を詰め込めばいい。
製造コストを複数の注文者で按分すれば、1 人あたりの費用は劇的に下がる。
SparkFun と BatchPCB
SparkFunは、2002 年に Nathan Seidle によって設立された電子部品販売会社だ。
設立の動機
Seidle は大学時代に、開発ボードを試験中に部品を 1 つ焦がしてしまった。
交換部品を探してインターネットを調べると、当時の状況に愕然とした。
「オンライン電子部品ストアの状況はひどかった。注文しようとしているものの写真を、とにかく 1 枚でも見たかった。後ろ側の写真すら載っていなかった。でも、この苛立ちにチャンスがあるという確信が湧いてきた」
写真があり、データシートへのリンクがあり、使い方のチュートリアルが添えられた電子部品販売サイト——そういうものが存在しないなら、自分で作ればいい。
Seidle は 2002 年末から大学の寮室で SparkFun の活動を開始し、2003 年に法人化した。
BatchPCB の誕生
SparkFun が自社製品の試作基板を製造する際、パネルに余白が生じるようになった。
その余白を外部の個人や企業に安く提供するサービスとして、Seidle は SparkFun の姉妹会社**「BatchPCB」**を立ち上げた。
BatchPCB は「ユーザーが設計を提出し、1 枚のパネルにまとめ、パネルごと発注し、切り分けて送る。これが数の力を PCB 製造に応用するアイデアだった」。
OSH Park——コミュニティ主導のアプローチ
BatchPCB と並行して、コミュニティ主導のアプローチもあった。
このサービスの立役者は、本業はシステム管理者(sysadmin)というLaen(James Neal)だ。
Dorkbot PDX Board Order
Laen はポートランドのハードウェア愛好家グループ「Dorkbot PDX」の常連メンバーだった。
グループは月に 2 回集まり、電子工作や各種プロジェクトを共有していた。
あるときは「Eagle CAD を使った PCB 設計」の講習会を開き、参加者たちがそれぞれ設計した基板を持ち寄る仕組みを思いついた。
個別に工場へ発注すれば 1 枚あたりの価格は高い。しかし複数のメンバーの設計を 1 枚のパネルにまとめて発注すれば、大幅に安くなる。
2009 年 12 月、最初の Dorkbot PDX Board Order が発送された。
自動化への挑戦
当初は 2 ヶ月に 1 回のペースだった。
コミュニティ内だけでは 1 枚のパネルを埋めるだけの量に届かなかったためだ。
2010 年初頭、Laen はポートランド外部からの注文も受け付け始め、注文は増えた。
それに伴い頻度は月 1 回、隔週、そして 1 年後には週 1 回へと短縮された。
だが週 1 回になると、Laen の作業は限界に近づいた。
各ユーザーから届くガーバーファイルを手作業で確認し、パネル上の配置を考え、無駄なスペースが出ないよう詰め込む——この**「パネリゼーション」**作業に、毎晩 2〜4 時間を費やすようになった。
ここで、システム管理者としての技能が活きた。
「開発作業が山ほどあったよ。Ruby のコード、既存の Python コードへの大量の改変、大量のシェルスクリプト、そして注文を受け付ける美しいウェブインターフェース」
パネリゼーション問題の核心は、コンピュータサイエンスの**「ナップサック問題」**と同じ構造だ。
限られたパネルスペースに、様々なサイズの基板をどう詰め込めば最も効率的か——これは計算量が多い組み合わせ最適化問題で、大規模になると手作業や単純なアルゴリズムでは対応できなくなる。
Laen はこれを独自のスクリプトで解き、パネルの充填効率を高めた。
それが価格を下げ、さらに多くの注文を呼ぶ好循環を生んだ。
OSH Park として独立
このサービスは 2009 年 12 月の最初の発送から約 5 ヶ月後にOSH Park(Open Source Hardware Park)として正式に独立した。
OSH Park が選んだのはアメリカ国内の製造工場のみで、倫理的・環境的・物流的な理由からその方針を維持している。
そのトレードマークである鮮やかな紫色のソルダーマスクは、コミュニティでは一目で OSH Park の基板と分かるものとして知られるようになった。
**2 層基板 3 枚で 7.75 ドル(約 1200 円)**という価格は、中国サービスには及ばないが、国内製造の品質と確定した納期を重視するユーザーに支持され続けている。
中国で「同時多発」した PCB サービス
2006 年から 2015 年にかけて、中国では JLCPCB、Seeed Studio、Elecrow、PCBWay といったオンライン PCB サービスが相次いで登場した。
これは偶然の一致ではない。複数の構造的な条件が重なったタイミングだった。
第 1 の条件:WTO 加盟後の製造能力の急膨張
中国は 2001 年に WTO(世界貿易機関)に加盟した。
これを機に外国直接投資が加速し、多国籍企業が製造拠点を中国に移転した。
2000 年から 2010 年の中国の PCB 産出額は年率 20% 以上の成長率(CAGR)を記録し、2006 年には日本を抜いて世界最大の PCB 生産国になった。
大規模な製造能力が整備されていく過程で、工場側には「稼働率を上げるための小ロット顧客」が必要になった。
第 2 の条件:珠江デルタのサプライチェーン集積
深圳を中心とする珠江デルタには、PCB 製造に必要なほぼすべての素材・設備・薬品が調達できるサプライヤーが集積した。
- 銅張り積層板
- プリプレグ(積層材料)
- エッチング液
- 露光機
- ドリリング機
これらを域内でほぼ調達できるため、外部調達コストが極小化された。
第 3 の条件:インターネットと国際配送の普及
2000 年代後半には、DHL・FedEx などの国際宅配便が安定し、追跡可能な形で中国から個人宛に小荷物を届けられるようになった。
Alipay などのオンライン決済も整備された。
製造能力と配送インフラが揃ったことで、「外国の個人から注文を取る」オンライン工場が現実的なビジネスになった。
第 4 の条件:製造工場出身の創業者が「外向き」に動き始めた
JLCPCB 創業者の袁江涛のように、元エンジニアや製造現場出身者が「なぜ基板はこんなに高いのか」という問いから出発し、自動化と直販によって価格を引き下げるビジネスを構想するようになった。
Seeed Studio の Eric Pan のように、ハードウェア Maker としての経験を持つ創業者が「少量製造の壁を壊す」ことを明示的なミッションに掲げた例もある。
これら 4 つの条件が同時に揃ったのが、ちょうど 2006〜2015 年の深圳だった。
偶然ではなく、構造的に「そのタイミングしかなかった」とも言える。
JLCPCB の登場
JLCPCB(Shenzhen JiaLiChuang Technology Co., Ltd.)は 2006 年、袁江涛(Yuan Jiangtao)によって深圳で設立された。
袁は元電子エンジニアで、小さな PCB 工場で設計・開発・テストに従事していた。
JLCPCB は公式 PR 文で創業の原点をこう伝えている。
「良質・廉価な基板を手に入れられないエンジニアの悔しさを、袁は身をもって知っていた。その後悔を次の世代のエンジニアに繰り返させたくない」
袁の経営哲学は明快だ。
「PCB 業界の利益は非常に透明だ。低価格・高品質・短納期。本質的に矛盾している。この矛盾を解決する唯一の方法は、完全自動化工場による大量生産だ」
JLCPCB は当初から国内市場向けに、数日から 1 週間のターンアラウンドで 2 層・多層 PCB を提供していた。
- 2009 年 - メール注文を廃止してオンラインの顧客セルフサービスを導入
- 2011 年 - 注文アシスタントを整備
現在の生産能力は月数十万平方メートル規模に達し、広東・江蘇・江西に 5 拠点、計 1800 エーカーの製造施設を持つ。
このスケールが**「5 枚 2 ドル」**を支えている。
膨大な注文量があれば、材料・設備・人件費を 1 枚当たりに換算したコストは極限まで下がる。
さらに深圳には、電子部品の卸売り市場「華強北」を擁し、PCB 製造に必要なあらゆる素材・機器・部品のサプライヤーが数十分以内に集積している。
電子工作コミュニティでは「世界の電子部品の台所」とも呼ばれるこの集積が、安価な製造を可能にする産業インフラの土台だ。
結論:製造民主化の 20 年
個人が基板を発注できる時代は、以下の 4 つの構造的変化によって生まれた。
- パネル化の発想 - 余白を売るビジネスモデル
- オンライン販売文化 - SparkFun による電子部品販売の文化醸成
- 中国の製造能力急膨張 - WTO 加盟後の製造能力拡大
- インターネット配送の普及 - 国際配送とオンライン決済の整備
1 枚数万円から 5 枚 320 円へ。
基板製造の民主化は、20 年以上にわたる技術的・産業的・コミュニティ的な変化の積み重ねで生まれた。
参考:
引用元・参考リンク
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